どうもまいど。
ぐすよーおはこんばんちわ。
ねいさんやいびーん。
食い物の誘惑が多い季節です
そして雪は夜更け過ぎに大雨へと変わり
お陰で全く雪のない工場@信州でございます。
観光地、という演出。
昨日のうろつきでも所謂観光地と呼ばれるとこにも足を運んだんだけど。
成功してる観光地に言えること。
どこも共通して、外から来る人の求める「地元っぽさ」を演出するのが上手い。
なんかつまんない話になっちゃうけど、飛騨高山の三町だって昔からああじゃなかったからね。
ぼくが小さい頃は今とは全然違って普通の街でした。
今のあれ、全部お金かけて作り込んだ結果ですよ。
でも、それが成功して外からの人はそれを求めてやってくる。
善光寺周辺もそう。
古い建物をあえて古く見える風に全部リノベーションしてある。
外から来た人はそんなこと知らないから、昔はこういう姿だったと思って楽しめる。
でもこれがとてもツボを得た変身&売り方なんだろうな。
一方
「田舎には田舎のやり方がある」
「そんな都会のしょう(人)みてぇなこと」
などと言ってるとこは見事に過疎化が進んでる現実。
せっかくの名所があっても世に知られず、埋もれてしまっている所も多い。
まぁ、なんでもかんでも名所として売り出せばいいもんでもないし、人呼んでゼニ儲けができりゃいいってもんでもないけどさ。
自然のまま、ありのまま。。。
は聞こえはいいけど、実際ありのままと荒れ放題は紙一重だったりもする。
何事も磨かなければ光らないということかも。
もったいないよね。
。。。と思う。
目からウロコだった、逆転の発想。
そんな中で、ここ最近一番目から鱗だったのは
高山の朝市で、コーヒースタンドみたいな屋台に常に人だかりが出来ていたこと(お客さんは主に外国人)。
英語&フランス語で手書きの看板が出ているのも大きなポイントだけど。
日本ぽさを売りにするお店(伝統工芸とか地元の食べ物とか)ばかりが林立する中で、確かにあれは異色なお店でもあったけど、呼び込みをするでもないのに常にそこに人だかりができていたのは自分的には目から鱗だった出来事。
なにも日本だから日本ぽいものが売れるとは限らない。
現に外国人が足を運ぶ観光地には、そういうお土産屋も食堂も同じような店が立ち並んでる。
これだと無駄に競合が多すぎる。
飛騨牛握りなんて街中のどこにでもあるし、高山ラーメンだって滞在中に一度食べたら2回目行こうって人はあまりいないかもしれない。
その中にあって、あのパリの街頭にでもありそうなコーヒスタンド。
外国から来た人がさらっと寄ってコーヒー片手に観光ぶらぶらを続けられる。
極度なジャパニズムの中にあえてあれを置いたオーナーはきっと海外の経験が豊富なのか、そういうニーズをしっかり知っていたんだと思う。
外国人観光客があの場で求めるのは、意外にもおにぎりやお団子をもしゃもしゃしながらの散策じゃなくて、ありふれた一杯のコーヒーなんだ。
そのニーズを表しちゃってるのが、あの外国人の人だかり。
観光はあくまで非日常を求める面白さ。
そんな中にあって突如現れる日常がもたらす「ほっとする感」を知ってるんだと思う。
人って贅沢なものだから
非日常にもすぐ飽きる。
日常あってこその非日常。
どちらかだけだと心の安定も欠く。
だから和牛とラーメンと座敷に疲れてきたところで観光客はコーヒースタンドにきてバランス取るんだと思う。
仮にあれが甘酒スタンドだったらどうだったろう。。。と考えてみると面白い。
やたらと感心させられた出来事でした。
「異なる視点」を知ることの大切さ。
こういうのって人がやってるの見ればなんでもないことなんだけどね。
人間そういう視点にはなかなか立てない。
だからついありふれたもので勝負しようとしてしまう。
今までやってきたものに色を付ければなんとかなると思ってしまう。
ちょっと違う角度から切り込むという、なんでもないようですごくなんでもあるこの着想。
これはたくさんの世界を見て、経験を積み、広くいろんなことを吸収してないと知りえない境地なのかも知れないね。。。
なるほど仙人がいうことがわかった気もしなくもない。
旅で見聞を広めるのもそうだけど
普段からこうして目を広く開くこと
異なるジャンルの世界を知ること。。。
そんな気付きが大事なんだなぁ。。。と思わされる出来事でした。
そう思うと勉強って楽しいな。。と思う。
にふぇーでーびたん。
One Reply to “目から鱗とはこういうことか。。。差をつける経営のヒント。”