どうもまいど。
ぐすよーおはこんばんちわ。
ねいさんやいびーん。
2011年の年末。
我が家に縁あってやってきた一台の白いヨンマル、BJ46V。
46(よんろく)と世間で呼ばれる、少し長くてオーバーフェンダーの着いた、ヨンマルの最終モデル。
今回は、そんなしぶろくさんがうちにやってきた頃のお話。
なぜ「ヨンマル」だったのか
東南アジアやアフリカで育ったせいで、身の回りには四輪駆動車がわりかし豊富にあった子供時代。
週末には荷台いっぱいに積まれたパイナップルやパパイヤなんかと一緒に父親がヨンマルのピックアップで帰ってくるのが我が家の日常でした。
乗用車とはずいぶん違う雰囲気と、うるさいエンジン音
そしてカラフルな色とどこかポップな雰囲気は、山盛りのフルーツとともに子供には強烈な印象に残りました。
乗ってみれば
広い室内と脚にぺたぺたと張り付くビニールシートの独特な匂い
ヨンマルさんは中も外も、あらゆる面で強烈な車でした(笑)
赤土がとろけたチョコのようになる雨季の道
轟音を立てながら家族を乗せて走り抜けるランクルは
子供の目にはアトラクションかアドベンチャーのような楽しい乗り物でもありました。
ここまでくればもうトラウマですね(笑)
そんな子供時代を過ごしたおかげで、大人になった頃には
「アフリカに行ける車がほしい」
と思うようになり。
それがやっぱりランクルでした。
当時人気のパジェロやサーフ、ジムニーやジープなんかもありましたが、そういう車には縁がなかったので(というか知識がなかった)何故かランクル一点買いでしたね。
まぁバカの一つ覚え、たまたまそれ以外を知らなかっただけです。
ランクルは当時新車でいえば70や80が買えた時代でした
街の車屋さんにもよく並んでいたと思います。
それでもヨンマルだったのは、やはりそのポップなスタイル。
今でもその独特の姿は大好きですし、個人的にはヴェスパやアラジンのストーブと共通する「美しさ」を感じます。
ヨンマルとの再会
当時
トラックに乗って日本のあちこちを走り回っていたので、行く先々の車屋さんでヨンマルがないかとチラチラと気にしてみていました。
そんなある日のこと
とある地方都市のデーラー系の中古車屋さんの敷地に止まってる白いヨンマルを偶然見かけます。
さっそく次の週末。
自家用車をぶっ飛ばし、首都圏の自宅からそのお店まで印鑑持ってすっ飛んでいきました(笑)
白いヨンマルさんはきれいに磨かれ、プライスボードを掲げられて並べられていました。
たぶん今にして思えば。BJ44Vだったと思います。
パワステ、クーラーなしだけどカラフルなシートのグレード。
座るだけでウキウキするような雰囲気に、ろくにお店の人の話も聞かずに
「買います!」
と言ってた気がします。
んがしかし
ヨンマルさんで走る自分の姿を妄想しながらニヤニヤしてお茶をすすって商談を進めていったときのこと。
この車はNox法という規制のおかげで当時自分の住所のあった地域では来年の継続検査(車検)が受けられない。。。ということを聞かされます。
。。。なんと!
乗れても数ヶ月。。。
その後この車はどうしたらいいんだろう。。。
遊園地の遊具でもあるまいに、車庫に置いておくだけってわけにも行かないし。。。。
あっけなく一瞬で崩れた妄想(笑)
なんてこった!
結局、デーラーできちんと整備をされて磨かれた素敵なヨンマルさんとはそのまま生き別れ。
失意のまま帰り道に着いたのを覚えています。
そして再び、ヨンマル
時は流れ
自分の中からもいつしかヨンマルの存在は消えてなくなっていました。
それからずいぶんと時が経ったある日のこと。
置き場を整理したい、という知り合いの話が舞い込んできます。
その時に出会ったのが「しぶろくさん」、BJ46Vでした。
どうやらご縁のあるものとはどんなに年月が経っても出会うようになっているみたいです。
こうして、あのときのビッグウエーブは思わぬ形で、しかも思った以上の形で再びやってきました。
パワステ、クーラー付き。
4速でタコメーターなしのグレード(KC)。
ドアを開けた瞬間目に入る、独特なグレーの「ゾウさんシート」の匂いは一気に子供の頃の記憶を呼び覚まします。
車検も残っていたし、走る、曲がる、止まるに問題はなかったしぶろくさん。
真冬の寒い日にはるばる長野まで乗って帰る道中は、そりゃもう夢のような時間でした。
ヨンマルに乗ってる!
長い長い時間を経てやっと夢が叶った瞬間でした。
。。。後半へつづく。
にふぇーでーびたん。
One Reply to “「しぶろくさん」との出会い。 ランドクルーザー BJ46V-KC”